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インターネット世界の善行講

1997/02/01

 近頃流行しているインターネット上で善行を施し合う集団について考える。
 その集団の行動原理の概要は「5人の善行を成した聖者たちに、500円を郵送献上する。その善行をもって、先頭の聖者を解脱させ、自らが5人の聖者達の序列の末席に加わる。そしてインターネットを通じ全世界にこの福音を伝える」というものである。

 私はさっそく、無思慮に思った。これはこれはたいへんな馬鹿者達の集団であり、自分達が馬鹿者であることをわざわざ世界に公開するとは、何という大馬鹿者であろうか。

 あ、いかん。誰かの誹謗中傷と見られるような記事はまずい。
 この「馬鹿者」という言葉は仏教系大学にあった大馬鹿門と同様、禅的哲学用語であって、誹謗中傷のための用語ではないのである。誤解をまねくとよろしくないので、次のように文字変数化することにする。

 私はさっそく、無思慮に思った。これはこれはたいへんなB達の集団であり、自分達がBであることをわざわざ世界に公開するとは、何という大Bであろうか。

 Bにたいし、馬鹿者、相互扶助会員、聖者、善人、利口者、御先祖奉仕教団員、独創的ビジネスマン、等等、読者各々快適だと思う用語を適当に代入して読解していただきたい。
 経済的学考察と倫理学的考察の2つの側面から考える。
 まず経済的に考察するに、私はそんなに利口でないからよくわからないし、面倒くさいのであまり考えたくない。
 定常的な世界で、平均的に、このようなことが行い続けられていると考えるならば、その各人にとって出る金と入る金は同じような額になるはずである。その集団内で、出力する金額の総領と流入する総額は同じだからである。ちょうど、お歳暮とかお中元などのナンセンスな風習と同じようなものである。郵送料と手数料などが消費されるのみである。
 しかし、インターネットの世界は拡大しつつあり、新規加入者の何パーセントかが、このナンセンスな集団に参入するはずである。さまざまな要因が変化し。どんな結果になるか理論的に正確に予測するのは困難である。
 この経済活動は、宝くじと同様、お金を不平等に再配分するシステムである。宝くじと違うところは、努力(布教活動)をする者が報われるということと、最初に始めた者が有利であることである。
 倫理学的考察については、しばらく保留。