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人間は考えるあしである。

弁証法的形而上学漫談 

P.私はあしをむちうって考える。

D.それは本当か。

P.そうだ人間は考えるあしである。そして私は人間である。ゆえに私は考えるあしである。

D.君は足をむちで打って考えるのか? それとも、葦で、君の馬車馬のような頭脳をむちうって考えるのか。

P.それは相対的な問題だ。人間は考えるあしであるが、また人間はむちであるがゆえに考えるともいう。

D.そんなことがあるものか。むちなものが考えたりするものか。

P.君は偉大なS先生のことを忘れたのか。S先生はたいへんな、無知であったがゆえ、あのような立派なことを考えられたのだ。

D.たとえS先生であろうと「我思うゆえに我あり」という言葉を知らんかぎり存在することはできんのだ。実際、昔の人間はすべて私の発見したこの言葉を知らないので存在していないであろうが。

P.私は君が最近発見したそんな言葉は知ったことではない。だから私は存在しないのであろうが、それがどうしたというのだ。「私」が存在しないということは二千年以上も前に東洋の聖者が説いていたことだ。それに彼は君の頭が空っぽであることも「頭簡素空熱経典」で解いているのだ。

D.それは本当か。ではいったい我々はどうやって考えればよいのだ。

P.だから私はあしをむちうってかんがえるのだ。