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電柱

1975年頃

 風が吹いた。水溜まりの空が小刻みに揺れた。町角の電柱がそびえていた。高く電線が走っていた。ねずみ色の自動車が停車していた。それは、カブト虫みたいなかっこうで腹をふるわせ、あたかも鼻先の水たまりの水を飲んでいるかのようだった。店先から運転手が戻って来てその腹の中に収まると、それは水を飲むのをあきらめて走り去った。それはすばやく、そして抜け目がなかった。水面に浮かんでいた半分食べ残しのコッペパンを、あとあと誰も食べられないように踏みつけていった。バラバラになったパン屑様の綿雲が波間にただよった。
 また、風が吹いた。こちらの店先に散らかっていた新聞紙が三軒両隣の店先へ飛んでいった。ヒドラの頭のようなノイローゼじみた風であった。
 道はジグジグしていたしタイヤの跡が複雑にジグザグに走りまわっていたから、智子はややこしい思いで足先の行き先に引き回された。
 「私の運命もかくのごとく、ややこしく不安にみちて運命づけられているのであろうか」 と智子は思うのだった。
 ばかでかい看板が、ねずみでもはたいてやろうとてか、はえたたきさながらに構えていた。
 通りは、ゴキブリ取りのミニハウスをぎっしり並べてみたような風景であった。しかしごきぶりそこのけの自動車は、そのゴキブリホイホイみたいな家並みの隙間をじょうずに縫って走り回るのであった。
 「ああ悲しい人生」
 智子は思い入れてつぶやいた。その言葉は腰を曲げ杖をひきひき人生の坂道を歩くお婆さんの姿を連想させた。しかし智子の心の中の若さはそのイメージに反発した。
 智子は想像の中で、その杖を借りてきて、この道がいかほど悪質であるか調べるために、つついてみた。それから軽く棒高跳びみたいなこともやってみた。しかし想像の杖は翼を広げて魔法のほうきのように飛び立ちはしなかった。
 できることなら智子の人生の道に立ちはだかっているであろう邪魔物はみんなきれいさっぱりと、はき飛ばしてしまいたかった。
 しかし邪魔物があるようなところは道ではない。そもそも人が道路を作ったのは、少なくとも道の上には邪魔物は存在しないという保障をその道の上に舗装せんがためであつた。
 しかし邪魔物がないような道は人の生きる道ではない。機械の通る道ならばいざ知らず、人間が決まり決まったコースの上を歩むことで、すべてことたれりと感じるだろうか。