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四国新聞読者文芸掲載

28歳頃

 物干し竿

 まさか人間は洗濯物と同じではなかろうが、長い人生の内にはじたばたしても始まらない、おとなしくしてなくてはならない時期もある。汚れを払うべく運命がそうさせる。その時、人はものほしざおにつらぬかれる。ほされている時には、風の吹くに身をまかせ気元良く陽の光を辛抱づよくあびていれば良い。十字架ならぬ、物干し竿を負う話

池の向こうに田んぼがあった。田んぼの向こうには山が見えた。風呂屋の絵にするほど雄大さはなかったがまとまりの良いこぎれいな景色だった。
 しかし裕は風呂屋になんか行ったことはなかったし、したがって風呂屋にあるという、立派な、それはそれは芸術家も嫉妬して悪口を言うという、雄大な絵画を見たことはなかった。それゆえ 、これはかなりいいかげんな話だが、裕はなんとしてもこの罪のない田舎じみた風景を、又もうひつの罪のない風呂屋の風景と関係づけずには気がおさまらなかった。裕は用事も無いのに頭の用事の無い時には罪の無い事を別の罪のない事になすりつけるという他愛もないことをやってのけるのだった。
 真夏の太陽は天井に輝く電球であった。礼儀正い服装の女の子が礼儀正しくない悪口を池にほうり込んでいた。裕は、でこぼこ道でしかも田舎道の上の自転車の上で、そのもったいぶった自転車を操縦して走らせていた。裕は用事もないのにベルを鳴らした。それはチリンチリンと鳴ったがチャランポランとも聞こえたので、裕は調子に乗ってもう一度鳴らした。
 坂道の上の方に樹があった。裕はその樹の名前を知らない。プラタナスとかアカシアとかポプラとかでないことは明らかであった。そのようなロマンチックな名前をするものはこの辺りでは生息しないのであった。
 その樹を通り過ぎると一軒の大きくて古めかしく立派ではあるがいかんせん流行遅れの民家が見えた。それはお花畑の真ん中で今しがたお空から着陸したかのようにも見えた。空に綿雲は流れ、名も知らぬ樹々は風に吹かれその本来の名を口ずさんでいた。裕は自転車にものを言わせてチリンチリンチチャランポランポランと理恵の住む邸宅に入っていった。
 「こんにちわー。本屋ですよお。活きのいい御本はいかがあー。ごほん。ごほん」
 「あら、本屋さん。御本は間に合っているわ。何かおいしいお魚でもないかしら」
 理恵は縁側で洗濯機を運転していた。その洗濯機は大きなやかましい音をたてて回転する良い洗濯機であった。そもそも汚れものというものは、やかましく言って聞かせないと汚れが落ちないものである。裕の目の前で理恵はそうやってやかましく言って聞かせて良くしつけられた洗濯物を片っ端から物干し竿につるしていった。
 それを物ほし顔で見ていた裕が、
 「今日はよいお天気ですね」
 と言うと。
 「そうねあなたのお天気さかげんとどっこいどっこいだわね」
 と理恵がまぜっかえした。
 「それは、どういう意味ですかあ」
 と、裕が憤慨すると理恵は
 「それはそれはあなたの御様子がとてもほがらかそうでしたもの。このすばらしい野原いっぱいのお天気と比べてみたかったのよ」
 とさらりといいかわした。しかし、裕は文句を言った。
 「すばらしい野原いっぱいだなんていったって、あっちにあるのは田んぼじゃないですか。」
 「あら、そうなの。わたくし、少し目が悪いのよ」
 「ああ、そうでしょうとも」
 「池田君はどこに行くつもり?」
 「さあ、べつに決めていないけど・・・」
 「でも、もうそろそろ決めたほうがいいんじゃない?」
 「そうですか? まるで早く行けといってるみたいだけど」
 「高いところをねらっているのね。私は何度もすべったりするより落っこちる心配のない所のほうがいいわ」
 「この辺りに落ちるほど危なくて高い所なんてないですよ。みんなぼた山じゃないですか」
 「うわあー。すごい自信ね。そのぼた山を私、受けようと思ってたのよ」
 「え? ぼた山をうける?」
 「なによ。その言い方じゃ。受けても受からないのが当然とでも言いたげじゃない」
 「うけるも、うけないもどうもイメージが浮かばないです。うける???」
 「もう勝手にしてよ。でも香大や徳大をぼた山だなんて言うからには東大なんかねらっているのね」
 「え?ええっ!なんで香大や徳大がぼた山なのですか?」
 「あなたがさっきいったじゃないの」
 「そんなこと、言いませんよ」
 「うそ。さっきこの辺りの大学はみんなぼた山だって確かに言ったわよ」
 「僕が行ったのはあそこらへんの山のことですよ。これから山登りに行こうと思ってるんです。それに、何でぼくが東大や京大をねらわねばならんのですか」
 と、おもむろに理絵が切り出したが、裕はたいしておもしろくもない山へ行くのは中止にししたかったから、あっさりと、山へ登るのだとは言えなかった。

といいながら、理絵は例のスカートをものほしざおに掛けた。それを見て少々うわの空の裕は理絵が山へ散歩につきあってくれるのだろうかと勝手に総慈雨して言った。

 裕がこの家に来るのはこれで4度目であった.最初は学校帰りの理絵をみつからないように追跡してきて、なるほど変わっている所に住んでいる、と感心して帰った。2度目は見物というか偵察に来たときで裏庭の樹の間から見ると穏やかな景色の中で深紅のスカートがひらひら見えて裕はめまいがしそうだった。3度目は長靴に麦わら帽子や釣り道具で扮装して、あたかも偶然に出会わしたのごとくにやって来たのだったが、「これから、どこ行くの。そう、魚釣りにいくの?がんばってね。さよなら。」と、ていよく追っ払われた。しかも帰りに立ち寄ると、何だかんだと言って、玉手箱みたいなのを押し付けられたあげく、釣った魚、みんな巻き上げられてしまった。家に帰って恐る恐る箱を開けてみると、それはぼたもちであった。母親に見つかるといろいろとうるさいので裕はすぐにたいらげてしまった。
 今回やって来るにあたっては、一応、山登りでもするというたてまえであったが、校舎の屋上からロープで降りようとするところを先生に見つかり、油をしぼられるという経歴をもつ裕のプライドから言うと、このあたりには登るにかっこうの、格好良い山など存在しなかった。
「じゃあ池田君は、どこへ行くつもり?」
「さあ、べつに決めていないけど・・・」
「でも、もうそろそろ決めたほうが、いいんじゃない?」
「そうですか?でもまだ行くかどうかも決めてないんです。ずっと、ここに居てもいいし・・・」
「池田君とこは本屋さやだったわね。後を継ぐの?本屋さんて、儲かるのかしら」
「本屋なんて儲かりゃしないですよでも、儲かろうが、儲かるまいが、どうだってかまやしないですよ」
「あら、どうして? 儲かったほうがいいじゃない。それに本屋が繁盛するということはこの地方の文化が発展しているということでしょ。だからそれは良いことだわ」
田舎の俗悪図書館てところでしょうね、うちは。ただ読み専門店みたいだから。
「たくさん儲けて立派な公共施設にする義務があるでしょう?」
「値上げするわけもいかず、大安売りもできず、セールスに出かけるのも変だから大して儲けようがありません。」
「セールスマンて、一種の宣教師よね、物を売りつけるだけでなくその物で構成された生活形態を宣伝する点においてね。本のセールスマンをなさったら?」
「良い種類か悪い種類かは別にして、むしろ僕は本よりも山を売りたいな。教えるというのは、価値を教えることが基本にあって、学ぶということは価値を学ぶことから始まるのが自然ですね。僕は自然が好きですね。だから山へ登るんです。その点学校ときたら、この前、登ってみてつくづくわかったのですが、登りにくいわりには実に味気ない。一階、二回、三階とまあ同じ調子で性懲りもなく積み重なっている。」
と、裕は学校の悪口を散々言ったあげく、山師の山登りみたいな話を始めた。
 理絵は洗濯を終えたので、次は桃を取りに行こうと、そこらへんにあったかごを取ってきて、そこらへんに立っていた裕に押し付けた。
さて、桃のあとはたきぎを拾いか鬼退治かと、裕は思案しながら、理絵の後について行った。