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| 季節が変わって間抜けな餌が飛んで来なくなり蛍光灯の蜘蛛は生活に困って出てゆきました。 昨日はカマキリが部屋の中をうろうろしていたので捕まえて外に捨てました。 他に大した事件はありません。 |
自動車は結局、貸すことになりましたが、私が必要な時に自転車で車を取り戻しに行くのではなく、お坊さんのほうが自転車を漕いで借りにきて、私が車を必要な日には戻してくれることになりました。
お坊さんは、自転車を漕いでいると死にそうな気がした、などと泣きごとを掲示板に書いていました。理解し難い謎ではありますが栄養失調か鬱病かなんかだと思います。
私は、外面的には適当に親切なのだけれども、人のために心配することがありません。
自分のために心配することも、自分自身を非難することも他人を非難することも、ほとんどありません。要するに、かなり、だらしない、いいかげんな人間だということです。
私は鬱になったことがなく、鬱の心理状態がどういう状態なのかあまり想像できません。
ある日気がつくと、寂しさの感情がいかなるものか忘れていることに気がつきました。文法的に「寂しさ」という言葉をどういう文脈で使用するかは知っているのですが、
はたして、その感情を、かつて感じていたのかどうかさえわからなくなっているのです。
そこで「寂しさとは人間関係の禁断症状である」などと理論的に考えてみるのですが、
私は、酒もタバコも縁がないので禁断症状がいかなる感覚なのかも知りません。
寂しさは孫悟空の頭の輪のようなものでしょうか。 非人間的な生き方をしないように、人間に設置された装置。 私はどこかで、それが外れてしまったのかもしれない。 |
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