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今は亡き父の思い出

 私の父は酒を飲んでは一晩中大声で理不尽な、いちゃもんをつけては母を苦しめていることがよくあった。それは時々訪れるお祭りのように滑稽なことだった。翌日には、なぜか父は、おとなしい人間に豹変していた。母は陰鬱で不機嫌な感情を放出していたものだ。父は、前日には酒を飲んで「離婚してやる」といって息巻いていたのに、毎度のことながら具体的な実行に取り掛からないのは不思議なことであった。
 父は晩年、ロダンの「考える人」類似の「悩める人」の彫刻のようなポーズを取って居ることが多かった。何に悩んでいるのかは謎であった。病気と迫り来る死への不安であったのかもしれない。正職に就かずに日々隠遁している息子(私)に不満だったのかもしれない。単に肉体的な不快さの表現であったのかもしれない。酔っている時の楽しさとバランスを取るために憂鬱に浸っていたのだろうか。
 父は、晩年体力が衰えて畑に出て働くことが次第に少なくなっていった。唯一のお仕事というか生きがいは夜、街に繰り出して飲み屋に入り浸っては散財することであった。散財するとお店の人達がちやほやしてくれるし、おだててくれるので楽しかったのだと思う。
 母は、お金がすごい勢いで飲み屋の悪の巣窟へと流出していくことにたいへん気に病んでいた。私はそのことはたいして気にしなかった。本人が自分の金をどう使い果たそうが、どうでもよいことだと思っていた。私は日々、のん気に過ごしていたから回りの人々のことはあまり気にしないのであった。私は表面的には素直な良い子であって、ましてや親に説教するなんてとんでもないことであった。
 私は小学生の時は、ひそかに悪い子であった。家の金を50円とか100円とか盗み出しては散財を繰り返していた。50円といえば、当時の私の意識では大変な大金であった。そのせいで家が破産してしまうのではないかと恐れていたのだった。その金を持ち出しては、お菓子とかコロッケとかを買って同級生に分け与えていた。そうすると同級生は私を褒め称えたので、私はとても気分が良かったのであった。しかし、同時にとても後ろめたい気分でもあった。なぜかその悪行は一向にばれなかった。罪悪感ゆえに、長い期間をかけて次第に自力で意志を鍛え金銭の誘惑に耐えられるようになったのだった。そのせいなのか、大人になってからは金銭には淡白であって無闇に貧乏生活をしたがるようになったのは良くないのだった。
 父は夜中に酔っ払うとドラム管をどこかから盗んでくることもあったらしいし、車とぶつかったり、道端に沈没したりするので、救出に行かねばならない。
 冬のある日、母は町中を捜索に出かけて行った。しかし常日頃の心配事と高血圧が原因の脳出血で母は一晩中寒空に倒れていた。今現在も半身不随言語麻痺である。私は毎週、花を届けている。