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料理番組メモリー

 私は一人暮らしなので、料理は自分で作成しなければならない。ではありますが私は、料理を全然覚えない。自分自身に向かって、もっとまともな料理を作るように指令しようとしないのです。毎日毎日、朝から「はなまるマーケット」を録画して、日々の料理情報を漫然と見ている。しかし、料理教養番組を観るだけで、料理をひとつも覚えようとしない。たいへんな、怠け者です。自分の料理技能の貧弱さに恥じ入って反省するということがないので、向上心がなく、無為徒食に安住しているのです。しかしながら、世間の奥様方の広範囲に卓越した料理能力に対しては、尊敬をいだくものであります。
私の家にはコンロがありません。自分自身を信頼していない。しばしば料理の途中であることをすぐに忘れてしまうという事実の方を信頼しています。私にコンロを使わせるのはとても危険なので撤去しました。タイマーの付いた電子レンジを使用します。たとえば、豆腐を8つ切りにして、ハヤシライスの固形ルーも入れて加熱するだけといったような…とても素敵なシンプルライフです。
私が良く観る料理番組は「愛エプ」です。タレントが愛のこもった料理を作って、ゲストが感嘆しながら食べるのです。一番期待するのは、テロリスト・インリン様の創作料理です。常識にとらわれない技術を駆使して、常識人達の舌の根を破壊するのであります。
私は、お食事番組は楽しくありません。レポーター達は、贅沢きわまりない高級料理を食して、賛美して感嘆の声を発するのです。私は、その値段の高さに唖然とするのみです。
私には好き嫌いがありますが、嫌いなものを最近食べる機会がありません。主に高級食材が嫌いなのです。松茸、きのこ類、海の珍味、牡蠣、蟹・・・等。 子供の頃、牡蠣や蟹の中には、糞がたらふく詰まっていると認識したのです。磯の香りとか蟹味噌、と知覚すべきところを、不覚にも、これらの奇妙な味は糞の味である、という観念に洗脳されてしまったのです。幼少の頃、松茸や椎茸がグツグツ煮込まれて、実に不気味な色形の料理として出現した。それを糞の類であると判定してしまったのであります。同時に、糞は決して食べてはならないという厳しい躾を私は受けて育っていました。私の母がもっと野蛮人で、糞を喰ったぐらいでグダグダ言うんじゃない、と鷹揚に構えていれば、私もこれほど厳格な糞嫌い、否、糞のような料理嫌いにはならなかったでありましょう。
 ここに、「高級料理は糞みたいである」という命題が出現しました。これから私がそのことを証明いたしましょう。人間の真の内面の視点から考察すると、食べ物を口に入れた時、食べている、とは言わないのです。自前の調理器具を使用して料理を開始した、と言うのが正しいのです。胃の中に食材が運ばれて調理が継続して、完成した料理は、腸に提供されます。食事をするのは、腸の細胞です。口を動かしているのは料理を楽しんでいる行為です。人がこの料理を楽しむ行為に時間をかけて丁寧に、唾液という天然調味料を大量に降りかけて食事を用意すれば、高級料理となって腸に提供されます。しばらくするとその高級料理は、外界に出力されて糞と称されるのです。したがって健康な動物が出力したばかりの糞は、なんとなく旨そうな香りがする。というのが理論的帰結になります。
インターネットアイドルの野蛮人中川翔子さんが、愛猫マミタス様の尻の匂いを嗅いでは、Good Smell Good Smell !! と、しょっちゅうブログで叫んでいるのは、了解できるのです。しかし最近の人類は、不自然な生活で不健康なので、出力されるのは、Bad Smell の危険物質である場合が多いのであります。