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2014年賀状

 今年もお正月には年賀状が3通届きました。中学高校の同級生と、昔の仕事仲間と、彼の友人です。馬の絵を三種類獲得しました。例年どおりですと、あと2週間ぐらいすると、もう一枚年賀状が到着します。この毎年遅れて年賀状を贈ってくる人は独自の文化圏に属しており、旧正月寄りの中途半端に伝統的な思想を堅持しているものと思われます。この人は浄土真宗の人です。得体の知れない昔の中国語の歌で説教するのが得意です。私は毎日、今日が何日であるか、何曜日であるか、朝なのか夕方なのか、よくわからないままに日々暮らしています。そういう時、スカイプという電子機構から、今日は歌の日ですとお知らせが来ます。そうすると私は母屋に行き、玄関から仏間までの領域をお座なりに月一度の掃除をします。そして庭に出ると適当な花をかっぱらってきて飾ります。スカイプの伝達機構に「準備完了」の返信をしておきます。そう致しますと、例の歌手の方がその日のうちか、あるいは次の日か、あるいはまた次の日ぐらいの適当な時にやって来られまして、大きな声で中国語の歌を歌います。十分に歌われて満足された後、沈黙の一礼をなされます。その沈黙の中に神妙な音の無い音楽が聞こえるような気がいたします。その後、声が小さくて何を言っているのか分からない説教やら(隣の悪者を良く監視しなければならないといった風の)例え話をされて帰って行かれます。その後、私は後始末をします。昔の人の理想世界の模型の箱の中から栄養のあるものを回収して、扉を二重三重に閉じます。得体の知れない物の怪が出て来ないように、あるいは、俗世の塵芥が扉の向こうに入らないようにでもあります。金属製の花瓶は取り出して、明るい窓の前に置きます。その窓の上には、両親の仲が良さそうな写真を飾っています。
 私は将来、漆塗りの高級家具と黄金で満ち溢れた薄暗い陰気な世界には住みたくありません。やはり、青い空と流れる雲と風そよぐ緑の世界が快適であります。私は宗教のしきたりにうといものですから、押入れの中の成金趣味の雛壇に何か格好良いものを並べます。庭で栗を拾ってきて飾ってみました。しかし浄土真宗の人の意見では、よろしくないらしい。たぶんあの世で針の山として機能するのでしょう。昔マグロの缶詰を並べた時は父の兄嫁に酷くしかられました。しかしビールの缶詰を並べた時は褒められました。この真言宗のお婆さんは長年にわたりアル中の夫に苦しめられていましたが、お酒には寛容だったのです。父の兄は私が幼い頃、夜中に大虎に変身してやって来ると玄関に石を投げつけてガラスを割りました。恐ろしいことです。フジテレビの巨大な地獄絵図の年賀状を見ると毎日のテレビ依存生活を反省します。