迷惑な頂き物
祭りに駆り出された日、神社の飾り物の撤去作業の後、お供え物の山分けがあり、福袋をもらって帰りました。袋の中身はお菓子類とお酒でした。すぐさまお菓子を全部平らげたので腹の中で悪者細菌が増殖したことでしょう。そして酒の方はどう処理すべきか?
かつて知人が酒好きの友人とともに留守中に訪れて高級な酒を置いていったのを、私は問答無用で流しに捨てたこともありましたが、神社の神様からのプレゼントを捨てたのでは神様に失礼になるのではないか?と考え、そうだ、良いことを思いついたと、仏壇の中の飾り物にすることにしました。それが、月一でやって来る親戚の僧侶に見つかってしまい、叱られて撤去されました。ではどうするべきか、隣の部屋のパソコンの前にお供えしておけば、このところ毎日やって来る兄が召し上がるでありましょうか。しかし、兄がいまさら酒に溺れて面倒な人間に変身するようなことがあっては災難なので・・・お坊さんに持って帰っていただきました。お坊さんならば、修行を積んでいるので少々酒を飲んでも酒に溺れるような心配はありません。
酒に関して、私は関心が無いので、かなり無責任な考えを持っています。
酒は麻薬です。世の中には麻薬に溺れた人が大多数を占めていて、新入生歓迎コンパとか会社の懇談会とかでは、新人に飲ませて麻薬の楽しい仲間に引き入れようと熱心に勧誘されます。若者に麻薬の快楽を体験させて上げたくてしようがないのです。善意です。自らにして欲しいことを他人にも与えよという倫理道徳にも則っています。
私はこの様な勧誘の結果、何度かこの麻薬を嗜んだことがありますが、あまり効果が感じられませんでした。単に精神が静まりかえるだけでした。常日頃から憂鬱なことがある人が飲むと良いのかもしれません。絶え間なく理性が独裁国家の暴君のように圧政をしいているような心情だと、酒を飲むと頭の中の理不尽な偉い人が消え失せるので楽しいのだと思います。
特に日本人はどうでも良いような事に対して不幸を感じるようにマインドコントロールされているのです。マナーだとか宗教関係の細かい決まり事とかも、集団的な神経症の症状です。周りのみんなが神経症なので、違反するのを見つかると面倒なことです。
特に女性は時代とともに、しなくても良いにもかかわらず、しなくてはならない事柄がどんどん増えています。大人になったら口紅を塗らなければならない、茶髪にしないといけない。目玉も工作して大きくしなければならない毛虫のようなものを目の周りに配置しなくてはならない、皮膚病のように見える頬紅を塗りたくる必要がある等々、地獄の石積みの儀式のように朝には塗りたくって夜には撤去する。毎日毎日面倒なこと極まりない。いずれ高速プリンタで顔面印刷する時代になるでしょうが、女性に生まれてこなくて本当に良かったです。
酒は百薬の長と言われています。酒を全く飲まない人よりも少し飲む人のほうが死亡率が低いという統計があったらしいのですが、全く酒を飲まない人の人数に重病で酒が飲めない人が含まれている結果、少し飲む人のほうが健康であるという統計結果になっていたそうです。実際は酒を全く飲まないほうが健康に良いのです。
酒は、昔から憂鬱の治療薬として使用されてきたのでしょう。とりあえず幸福になれる薬です。しかし、これは借金みたいなもので、一時的に生活は楽になりますが、長期的には、幸福の自転車操業に陥り破綻することも多いみたいです。とどのつまり鬱状態を持続させる薬であります。
日本政府は景気浮揚策と称して必要もない仕事を作っては借金を積み上げています。いずれ破綻して踏み倒すでしょう。誰に被害がおよぶか予測がつきません。大金持ちの人は毎日毎日お金の事を考え続けている専門家なのでこの災難を回避するでしょう。そんなことをあれこれ心配しているとストレスです。そんな時、お酒を飲むと人間としての小賢しい損得感情から解脱して、動物としての悟りを得られます。
このあいだ封建主義社会の伝統ある神技体を習得した横綱が酒を飲んで動物の直感的な正義感が爆発して見境なく暴れました。お相撲さんは、軽自動車並に馬鹿力があるのだから、常日頃から自動車を運転しているのと同じです。酒など飲んではなりません。
誰かの頭をかち割った罪で逮捕されたなら罰金なり刑務所に入るなりした後、戻ってきて相撲を続ければ良いと思うのですが、引退してしまいました。色々と伝統やら慣習やら差別や隠蔽からミステリーが発生して、ワイドショーの謎解き娯楽になったのでしょう。不幸な人々は誰でも良いから悪い誰かを懲らしめてあげたくてしょうがないのです。